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kazuroo voice かずろう日記

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更新日 2008-12-15 | 作成日 2007-10-14

2004/06/08(Tue) 17:15:13

梅雨の雲間を

ツバメ君が出産し卵は無事かえり、
今店先は大変なことになっている。
予告した通り、親ツバメ君達は遠慮もへったくれもなく
髪を振り乱し大忙しだ。
お客さんがいようが関係なんかねえ!
激しい合唱だ、しかも下手くそな。(涙)
彼等が旅立つまで
僕らは遠慮がちに商売すればいいだけだからね。
親に似て子供達も目つきが悪い。
お客になんかかなりの気合いでガン飛ばしだ。
僕にも同じく。
昨年も書いたが家賃を納めて欲しい。
当たり前の顔でいるのはちょっとどうかと思う。
梅雨の雲間を親ツバメはぶっ飛んでいる。
平気でわが子を殺してしまう人間とは大違いだ。
お腹も空いてるだろうが先ずは子供だ。
車に気をつけて働きなよ。俺も見習うよ。お前たちをね。
新しいホームページおめでとう。
みんなを幸せにするホームページであり続けろよ。
気を抜いてはいけない。大切な仕事だから。


2004/06/23(Wed) 18:28:16

バイバイフラワーマーケット

ついにこの日がきた。
愛すべき花市場が第三セクター主導の元、統合される。
けっして穏やかな気持ちではない。
思い返せば9年間通った。
スラムのような場所でも勇気を振り絞って訪ねた場所でもあり、
沢山の仲間と出会った場所であるから悲しみははかりしれない。
その市場は決して裕福ではないし
沢山の従業員がいるわけでもないので
僕らお花屋も引っ越しの手伝いを買って出た。
昨日今日と沢山のお花屋が自分の店をほっぽりだして汗を流した。
初日は主に台車(買ったお花を店別に置いていく)と
他の市場から頂いた雛壇
(お花屋が座ってお花を仕入れる野球場の観客席のような)の運搬だった。
動物園の車が威力を発揮した。
各々が分乗しトラックで何往復もした。
そして一部は雛壇を取りにいき、新市場に持ってきた。
長い間使った場所には必ずいろんなものがたまる。
重要な書類やら家具やらあらゆるものが。
ひどい埃の中僕と上羽氏は二階から
ケチとge-ha-とjyunとotomeは階下のトラックの荷台にのり、
多くの不必要なものを運び出した。
結構重いものもあり、
冷蔵庫やタンスやら死んだ社長の遺物やらを。
カビ臭い中、黙々とパートのおばちゃん達と運び出した。
二階の窓からそれらを運び出すので危険を伴う。
僕らは落ちる可能性があったし、
下は冷蔵庫が落ちる危険があった。
それでも僕らはふざけあった。
moriの物まねをして大笑いをした。
ge-ha-は勘違いして全く違う物まねをして笑われた。
その瞬間も動物園は黙々と働いた。
市場の人間はもっと寂しいのだろうと考えた。
花屋の仲間は素敵だ、もちろん市場の人間もだが。
ずっと一緒にいたいと思う。
そんなセンチなことを考えて身体は動かした。
次の日(今日のことだが)
すごいものを見ることになるとは知らずに。次に続く。


2004/06/24(Thu) 15:31:52

バイバイフラワーマーケット

二日目はほとんどの人間が製材作業と雛壇の清掃にあたった。
僕はと言えば不要になったものを産廃の場所に捨てにいった。
そりゃ何十年も使った建物だからゴミもたまる。
山本さんという振り子と一緒にトラックに乗り込んだ。
京都の一号線をひたすら南に向かい、
大きな施設でゴミを捨てた。
帰り道ふとしたことから昔の話しになった。
『やっちゃんはいつから働いている?この市場で』
彼は高校卒業後すぐに京都にやって来たらしい。
園芸高校に通っていた関係でこの市場を選んだらしい。
18歳からずっと市場で働いて来た。
ろくすっぽ休みも無く、劣悪な環境の中でがんばった。
見合いをしてから今までどこにも連れていってやれてないと嘆いた。
いろんな話しを楽しそうに思い出を語った。
このおじさんはこんなにもおしゃべりだったのか、
と気が付いてそろそろ市場につきそうな時に
彼はこう切り出した。
「そういや奥さんが中村はんのことこんなん言うてはったな」
「どんな?」
奥さんとは死んだ社長の奥さんのことだ。
「えらい元気なんがくるよって、
そしたらそれが中村はんやったわけや」
記憶が9年前にぶっとんだ。

はじめて市場に出入りする時に場所を訪ねるのに電話をかけた。
そしたらえらいすっとんきょうな対応をするおばあさんが
電話の先に出た。
今はどこにいらっしゃるか分からないが
一度だけ市場の事務所で出会ったことがある。
死んだ社長やその奥さんにまつわる話しは
色んな先輩花屋から聞いたことがあり
興味がある人たちだった。
僕はもうてっきり惚けてしまってるように思っていたが、
その奥さんが僕の電話で
「えらい元気なんがくる」と言ったのだ。
なんか仕組まれているように思う。
市場に出入りするようになってから
僕は精いっぱい活動して来た。
お花の仕事もがんばって来た。付き合いも極力出た。
感謝の気持ちがいっぱいだったのでよくやったと自負する。
おかげとは言わないが
市場は本当に良い雰囲気になったと思う。
若手の花屋の発言権もしっかり出来たと思う。
そんな結果を9年前の電話だけで、
奥さんは想像したのだろうか?
確かに元気すぎてはしゃいでしまい、
市場でしかられたこともしばしばだが。

そうこうするうちトラックは市場に着いた。
もうみんな新市場の準備に出ており
たった一人だけ絵描きの社員が掃除をしていた。
また新たなゴミがうずたかく積まれており、
僕と山本さんは大きなため息をついてしまった。
その前でセブンスターを一本やった。

ゴミの中に卒業賞状を入れるような筒があり
何となく拾い開けてみた。
中には数枚の大判の写真が丸まって入っており、
線香の香りとともに広がった。
白黒の中には背広姿で男前のがんこそうな紳士と
その横で少し笑ったかなり美人のご夫人が
仲良く写っていた。
言うまでもなく確認する必要も無く誰だか分かった。

線香の匂いとともに社長はこの市場から解放されたのだろう。

どこかの街で奥さんは涙を流しただろう。


2004/06/26(Sat) 11:33:24

いい男がいる、なかなか素敵な世じゃないか

僕の仲間の花屋たちは丸々3日間を市場の引っ越しに費やした。
言いだしの僕は結局最終日は参加できず、
ずっと何かひっかかっていた。
引っ越しが完了した時に各々が
「おつかれさん」コールをかけてきてくれた。
みんなで記念撮影をしたらしい。そこにいたかった。
だから僕の中では引っ越しは全然終わっていなかった。
そんな心境で初競りを迎えるのは絶対嫌だったから
初日の荷物を飛行場まで取りにいく手伝いをすることにした。
東京にいた頃、市場の仕事で週に一度トラックにのり
飛行場のそばまで荷物を取りにいっていた。
それと同じ仕事だ。
24日の深夜、花教室が終わってから京都に向かった。
ひどい雨で視界が悪い中、国道をぼっとばした。
午前一時に新市場に着き、すでにみんな集合していた。
青木さんのトラックに乗り込み、尼崎にむかった。
雨は相変わらずひどかった。車の中で色んな話しをした。
市場に入るきっかけや楽しかったこと、頭に来たこと。
今の市場の状況や将来の展望。様々。
引っ越しでゴミを一緒に捨てにいった山本という男と
同じ立場にある青木さんだが口数は彼ほど多くはない。
帰り道もずっと話していた。
僕も僕なりの仕事に対する意識を話した。
僕が市場に対して持つ、思い入れも含め話した。
帰りは下道をとばして来たが雨は相変わらず降りしきり、
それでも午前4時には辺りは白んできた。
市場に着いて運んできた荷物を降ろし、
売りやすいように並べる。
青木さんが緊張しているのが分かる。
お客は沢山きてくれるのか?売れるのか?
記念すべき最初の商品は何でいくか?
色んなことを考えているようだ。
5時には荷物も整い、準備は完了した。
ぼつぼつ花屋が集まって来る。仲間はすでに集合している。
7時半の開市までまもなくだ。
始まる前に必ず従業員みんなが整列し、
しっかりと挨拶して欲しいと青木さんに頼んだ。
花屋もしっかり気張らないと市場の発展など無い。
それも含めて話して欲しいと。

時間が来た。
みんなが並び青木さんは挨拶をした。
引っ越しを手伝った有志のみんなに
丁寧にお礼を言ってくれた。
必ず発展するとも。僕はぐっときた。
まさか動物園の横で涙を流すわけにはいかない。我慢した。

最初の商品が手に持たれ最初の声があがった。
市が始まったのだ。
僕は半年ほど前からずっと考えていたことがある。
必ずしたかったことが。
白い美しいトルコ桔梗が競りにかけられた。
一瞬だが三千五百円の値がつき、
間髪入れずに僕は四千円の値を付けた。

最初の商品が競り落とされた。
したかったことが実現した。
最初の花は必ず僕が競り落とす必要があったから。
僕の台車に運ばれていく白トルコを見ながらため息をついた。

やっと僕の引っ越しは終わった。